去年の話で申し訳ないのですが、どっかのコピペブログでGREE岸田氏、細かなゲームバランスよりも課金機会の演出、効果の演出が大事」という記事を見かけたのですが、元ソース記事を読む限り、後者の演出の部分はともかく、ゲームバランスに関しては「どうでもいい」とは発言していないんですよね。まあ煽ってアフィ収入を稼ごうとするコピペブログの管理人は仕方ないとはしても、日本語の理解力が弱くて釣られる人が多い事に非常に残念に思います。そんなのに釣られるような馬鹿がマスコミにもいるのには笑いましたが(笑)
 
ソーシャルゲームの課金サービスの批判として、「課金しないとどうしようもないバランス」という声をよく聞くのですが、これについて「いつの時代のソーシャルゲーの話をしているの?」と言いたくなってきます。ソーシャルゲーム初期は確かにそんなゲームバランスだったかも知れませんが、これは80年代初期ぐらいまでのコンシューマ&アーケードゲームで見られた「理不尽なバランスによる高難易度化」だった時代と同様で、ソーシャルゲーというジャンルが確立し、一般的に普及した今となってはそんな作りは通じません。
 
課金サービスを他のジャンルで例えると少しは理解できるかと思います。
 
ミニ四駆の場合は、お金を持っていればその分、より高額なパーツが買えますが、レースに勝つためのチューニングはパーツだけの力だけではどうにもなりません。ただ、パーツの選択の幅が広がるので多少有利になるだけです(この話は私の小学生時代の経験)。
 
カードゲームの場合は、お金があればより良いカードを集めることができますが、デッキを組むにはカードの枚数制限がある上、カードには一長一短があるので、カードを沢山持っていたとしても組み合わせによっては必ずしも有利とはなりません。これもまた選択の幅が広がるだけです。
 
ソーシャルゲームも同様で、課金すれば非課金のユーザーよりも遊びの選択の幅が広がるだけで、それが必ずしもゲームが有利となるわけではありません。実際、ソーシャルゲープレイヤーの中には非課金ユーザーもいますが(一説によるとソーシャルゲープレイヤーで実際に課金をしている人は4人に一人とのこと)、それでも十分に楽しんでいる人もいますし、「金持ちが有利」というゲームバランスだったらここまでソーシャルゲームが普及することはありませんし(むしろ醒めると思う)、ユーザーもそこまで馬鹿ではありません。
 
あと、「課金で情弱を騙してお金を絞り取る」という意見もありますが、そもそも課金をしようがそれは本人の自己責任であって、それを企業に責任を取らせるのはナンセンスです。ソーシャルの課金をギャンブルと同列に考える人も中にはいますが、「ギャンブルで破産した人に同情するか?」というと、やっぱ自己責任だと思います。何をやるにせよ、限度を超えずほどほどに楽しむべきものです。
 
ソーシャルゲーム批判のもう一つ意見として、「ゲーム性が低い」ということですが、そもそも「ゲーム性って何?」と聞きたくなるんですよね。私はゲームを始めてから今年で29年目なのですが、そんなゲーム歴の長い私からしても「ゲーム性の概念」に対する答えが未だに出ていません。例えワンボタン操作で結果だけを見るゲームでも、ボタンを押すまでは結果がわからないので、それだけでもゲームとして成立するように感じます。アタリVCS時代のゲームや、テープメディア時代の国産PC時代なんて、ソーシャルゲーム以上のシンプルなゲームがたくさんあったので、ソーシャルゲームだけを叩くのもどうかと思います。
そもそも「ゲーム性」という概念自体が曖昧なのに、ただ批判しているのを見ていると、「気に入らないから取り敢えず叩いておこう」という風に見えて嫌な気分になってきます。もちろんソーシャルゲーをプレイするかどうかは本人の自由で無理にやれとは言いませんが、やりもしないゲームを想像だけで批判するような人間は、かつて私が少年時代にいたファミコンの存在を頭ごなしに批判していたくだらない大人と同類のように感じます。まあそれでもガチャ一回300と聞くと高いな、とも思いますが(笑)
 
 
ちなみに私がプレイしたソーシャルゲーで気に入っているのがixen『ボテン君』。さぼてんのボテン君を育てる育成ゲームですが、やっているうちにボテン君に愛着がわき、エンディングには思わず泣いてしまいました。やれることは少なく、ハエ退治のミニゲームは非常に簡素な作りで、最後まで課金なしに遊んでいましたが(植木鉢購入など)、それでも十分に楽しむことが出来ました。
それにしてもボテン君を見ると、『忍者ハットリくん』に登場する「トゲ次郎」を思い出すのは私だけだろうか?(笑)
 
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同じく、某コピペブログで、「ゲームのグラフィック論争」をしているのを見て鼻で笑ってしまいました(笑)。もうこれは大昔から言われて、あのBeep!』(ソフトバンク)でセガの『アフターバーナー』(アーケード版の話)「グラフィックだけで中身スカスカなゲーム」と批判していたのを思い出すと、懐古厨というヤツは20年以上も前からも変わらずいるんだな、と思います。
そもそも、見映えがよくなければ誰も手にとってもらえないですし、もし「実際にプレイしてみれば面白いゲーム」であったとしても、プレイしてもらうにはまず先に手にとってもらわないとプレイしてもらえませんからね。
いつの時代もグラフィックは重要で、単純にHD画質で極上のグラフィック!」ではなくても、マリオシリーズのようにSD画質でも楽しそうに見えるグラフィック」でも構いません。ユーザーにやってみたいと思わせるグラフィックは商品として必要です。だってさ、いくら美味しい食べ物でも、見た目不味そうだったら誰も買わないじゃん!(笑)それと同じです。